2016年の活動
2016年
12月
14日
水
Nov.18 第88回ハローマイト懇話会のご報告
あべのハルカスの辺りは既にクリスマスムードが漂っています。11月18日午後6時半から、23階の阪南大学あべのハルカスキャンパスで、インターンシップの体験談を聞きました。女子学生7人、協会からのオーディアンスは11人です。例によってパワーポイントを駆使して一人目、日本語教師アシスタントをした体験からスタートしました。去年までと違って今年はニューサウスウェールズのリズモアという街を拠点にインターンシップを体験したとの事。先ず英会話を学び、その後それぞれのインターンシップ先に向かうのは同じで、それぞれが違う家庭でホームステイ、異なった体験をします。
日本語教師のアシスタントでは、「山に行く」「山へ行く」といった助詞の違いの“説明を求められて困った、もっと日本語を勉強したいと思った”、と逆に日本語の大切さを思い知ったようです。
同じく日本語教師のアシスタントをした学生は、“日本文化・折り紙”で大いに人気を博したそうです。授業以外のところでも「折り紙を教えて!」と生徒たちから引っ張りだこで持参した折り紙は「アッという間に無くなった」と嬉しそうでした。なお子供たちの一番人気の折り紙は?と質問したところ“ピカチュー”だったとのこと、所変わっても、ですね。
ブライダル業務を希望した学生は、ウェディングドレスのディザイナー、フラワーディザイナーなどのアシスタントを体験、特に結婚式の豪華な、高価な花の装飾に驚いたと、パワーポイントの写真を示しながら改めて感慨を語ってくれました。また現地の人々との触れ合いの中で“自ら行動する大切さを学んだ、積極的な生き方をしたい“と抱負を語りました。
ホテル業務を体験したのは2人、それぞれに違った感想を話しました。
海外で働く事への憧れを学生の時に体験できるとは、と参加した学生は、ホテル直営のレストランでインターンシップ。最初はサービスの仕方の違いが解らず「泣きました」と本当に“泣いた”そうです。でも彼の地ではスタッフが、客との会話を楽しんだり、働く事を楽しんだりする姿を見て日本との違いを発見したようで、“海外で働く事への憧れ”は益々強くなったと次の目標がどうやら見つかったようです。
もう一人は、レストランのメニューに発見があったと言います。誰が見ても一目でどんな料理か解る、日本でも取り入れたら?と話していました。多民族国家の智恵を計らずも見つけたのでしょう。またチップという“サービスへの対価”も新鮮な体験だったようです。
興味を引いたのは、不動産販売の会社でインターンシップを体験した学生の話。質問してみて判明しました。実家が電機店を経営していて“物、物件”と言われるものに興味がある、と選んだ志望先。現地のコーディネーター、不動産屋さんも驚いたり喜んだりしたでしょうね。リポートでは“インスペクション”“オークション"と他の学生とは全く違った用語が飛びだしました。
でもそれなりの苦労があったのでは?と聞くと、待ってましたとばかり、専門用語がどんな意味なのか、毎日日本語に訳して理解するのが“大変でした”と。
でもボスの指示が理解できたり、自分の意見を言えたり出来てきて、、、と楽しそうでした。客層は、矢張り中国人、インド人とのことで世界経済の潮流が
そのまま現れているようです。
7人目も日本語教師のアシスタント。折り紙を教えた一人ですが、ポケモンゴーが大人気でしたと新しい情報を話しました。ホームステイでは、彼女曰く
“人見知り家族”で、チョッと淋しい思いをしたようですが自家用ヨットで大好きな海に連れて行ってもらったり、一人で電車、バスを乗り継いで“何とか
なるだろう旅“を体験したり、現地で精力的に働く日本人を見て刺激を受けたりインターンシップを大いに満喫したようです。
今回も日本語、英語での発表でしたが年々英語の、しかも発音が上手くなっているような印象があります。学生諸嬢、今後とも「オーストラリア」を忘れないで下さい。日豪協会のイベントにも是非参加して下さい。
それにしても、この逞しい7人の女子の向こう側に“羊のような”男子学生の姿が透けて見えるのは気のせいでしょうか?
(評議員:出野徹之)
2016年
12月
14日
水
Oct.25 第34回ゴルフコンペのご報告
2016年
9月
13日
火
Sep.2 豪日協会連合会 隔年総会への出席報告

2016年9月2日(金)-3日(土) 豪州ケアンズにおいて豪日協会連合会隔年総会が開催され、当協会から小西諄次副会長・青井利道理事が参加した。
初日、9月2日は会場プルマン・ケアンズ・インターナショナルで、日豪通商関係分野についての討議、ロス・ハンフリーズ会長の歓迎スピーチに始まり豪日交流基金マレー・マックリーン理事長より挨拶と豪日協力が齎す機会についてレポートがあり、その後豪州三井物産取締役による「新たな機会に満ちた世界」と題して、ビジネス環境の急激な変化への対応と豪日関係が学べること、会社の活動状況説明があった。その後、「新たな機会に満ちた世界、好機を生かすために」と題してパネル・ディスカッションがあった。午後は自由時間で、夕刻ケアンズ市オーディトリアムに会場を移してカクテル・パーティとなりケアンズ市長からの祝辞でパーテイを開催した。
2日目は会場ケアンズ市オーディトリアムで、姉妹都市、コミュニティ、コラボレーションを議題としてケアンズ市長、在ブリスベン保坂英博総領事からスピーチの後、姉妹都市-優先事項の変化に向けて、と題してロス・ハンフリーズ会長司会で保坂総領事、自治体国際化協会上坊シドニー事務所長、日本から参加した神戸日豪協会太田会長によるパネル・ディスカッションなどがあった。その後和太鼓演奏、剣道演武、ダンス・グループによるパフォーマンスを楽しんだ後、教育機会-小学校、中学校、大学によるケース・スタディ、パネル・ディスカッションに続いて全豪豪日各協会からのレポートとなり、SA、FNQ(クイーンズランド州北部)、
NSW、 Vic、ACT、WA、TAS、QLD からそれぞれ活動報告があった。この間、マキ・マッカーシーさんによる福島支援活動のレポートがビデオ入りで紹介され、後のディナーで支援競売会が行われた。打ち上げとしてパシフィック・ホテル・ケアンズにおいてガラ・ディナーとなった。
これまでの開催地はキャンベラ、メルボルン、ブリスベンなど大都市であったが、今回は場所の選定に時間がかかったようであったが、念願のケアンズでの開催が実現することとなった。今総会を通じて当方から準備された大阪大会のパンフレットが会場に置かれると同時に、ロス・ハンフリーズ会長から再三にわたって大阪大会への参加呼びかけがあったことは特筆される。今総会終了後は新体制が発足することとなり、今後の活動活発化が期待される。
2016年
7月
20日
水
Jul.7 第26回 サマーナイトパーティーのご報告
第26回大阪日豪協会 サマーナイトパーティーが、平成28年7月7日(木)18:45からウェスティンホテル大阪 『花梨の間』において、100名の参加者の下で盛大に開催されました。当協会の代表である会長 富田勇一の挨拶に続き、来賓のキャサリン・テイラー総領事の乾杯でパーティーが始まり、和やかな雰囲気のもとでの開催となりました。
今回も、ウェスティンホテル大阪のディナーを堪能しながら、豪華フラダンスショーでとっても癒されました。今年も最後はみんなで輪になって踊り、会場全体が非常に盛り上がりを見せ、皆様とても楽しんでおられました。
恒例の大抽選会(とるぞう)では、ウェスティンホテル大阪・帝国ホテル大阪ディナー券などの豪華景品が、多数の方々に当たりました。
最後になりましたが、多くの協賛品をご提供して頂きました皆様に厚く御礼を申し上げます。
2016年
7月
20日
水
Jul.7 第22回定期総会 ・ 懇談会のご報告
[ 定期総会 ]
2016年7月7日(木)、ウェスティンホテル大阪4階「蘭の間」におきまして、大阪日豪協会第22回定期総会が富田会長の議事進行により開催されました。議案は以下の通りでした。

1.報告
(1) 2015年度事業報告
(2) 2015年度決算報告
(3) 2015年度監査報告
2.議案
(1) 2016年度事業計画の件
(2) 2016年度収支予算の件
以上の報告・議案説明のあと採決に入り、全報告・議案ともに満場一致で承認・可決されました。
来賓として、キャサリン・テイラー駐大阪オーストラリア総領事、レイモンド・ローチェ駐大阪オーストラリア領事、落合総領事秘書の3名にご出席いただき、スムーズな議事進行の中にも大変盛り上がりのある定期総会となりました。
2016年
6月
08日
水
May.15 BBQ パーティーのご報告
5月15日(日)13時半より、服部緑地公園 バーベックマルシェにて、文化交流部会 春のBBQパーティーが開催されました。
汗ばむほどの快晴の中、爽やかな新緑に囲まれたバーベキュー会場は香ばしい香りに満ちご参加の皆さんの食欲を誘いました。
焼きたての肉に盛りだくさんの野菜、オージースタイルのホットドッグには冷えたビールがぴったり。お腹も満足の3時間となりました。
今回の開催にあたり、ご協力をいただきました岡山フーズ様に厚く御礼申し上げます。
(文化交流部会)
2016年
5月
17日
火
May.10 第86回ハローマイト懇話会のご報告
講演:「ウィリアム・ウィリス」
幕末から明治維新にかけて日本での医療活動に従事した
イギリス人医師、お雇い外国人
日時:平成 28年 5月 10日(火) 18:00~
会場:追手門学院 大阪梅田サテライト
問い:オーストラリアの旧宗主国は?
答え:イギリス
無理やりこじつけた訳ではないのですが、今回の講演はオーストラリアではなくイギリスのお話。しかも、ウィリスのひ孫で宝塚在住の、手木(てき)美惠子さんが“ご先祖”の事を語って下さるというので興味津々21人が参加しました。“幕末”“外国人”“医師”というと、私の乏しい知識ではシーボルトくらいしか浮かばないのですが、お話を伺っているうちにこんな凄い外国人が何故、日本の歴史の中で名前が残らなかったのだろう、沸々と疑問が湧いてきました。
ウィリアム・ウィリスは、1837年 アイルランドに生まれ、スコットランドで医学を学びます。外交官・医官として1859年 アフリカの喜望峰を回り香港、上海を経て来日。日本での波乱に満ちた生活が始まります。
時あたかも幕末の騒乱期、手木さんの“やさしい、淡々とした”話の中にも熱がこもってきます。公使館になっていた高輪東禅寺での事件。泊まっていた隣の部屋で、脱藩した水戸藩士による襲撃があり、ウィリスは「殺されるかと思った、日本では命がけで生活しなければいけないようだ」と述懐しているとか。
これを契機にウィリスは、様々な事件、内戦に巻き込まれていきます。その都度、多くの負傷者、重傷者を手当てし命を救うのですが、中には「会津戦争で重傷を負った大山巌を治療し一命を救う」という大きな出来事がありました。
歴史秘話ヒストリア風に言いますと『歴史に“たら”はない。と言われますが、もし大山巌がこの時落命していたら、日清・日露戦争の活躍はなかったのです。』そして、日本の医療にとって何より大きな功績は「負傷者に敵味方の区別はない」という“博愛精神、赤十字の精神”を根付かせたことです。こういった話はインターネットでは出てきません。身内、ひ孫の手木さんならでの“深い話”だと感じ入ります。
ウィリスは日本各地で起こる戦争に従軍する傍ら、東京に医学校、病院を作り、自ら院長となって後進の指導にも当たります。後に東大医学部となり、我が国、総合病院の基礎になっていきます。
1871年 日本人女性、八重と結婚。息子のアルバートが一時オーストラリアで生活をしたとのこと。ここで日豪協会とのつじつまを合わせておきます。そして手木さんは、このアルバートの孫に当たる方なのです。
鹿児島でも医学校を作るなど多くの実績を残したウィリスですが、食生活、公衆衛生、予防医学といった西洋の知識を惜しみなく紹介し、日本人の日常生活を変えていったようです。現在の日本人の生活の基を作ったと言えるかもしれません。
パワーポイントで当時の戦争の絵や西郷隆盛など歴史的な人物の写真を数多く紹介しながらのお話でしたが、手木さんの話ぶりは、あたかもウィリスのすぐそばに居て同じ時を過ごしているかのような臨場感に溢れ、一大歴史絵巻を唄って聞かせて頂いているような1時間15分でした。終わったところで、夢から覚めたような気がしたのは決して私だけではなかったのではないかと思います。日本史の表面に出てこなかった、こんな外国人が居た事を会員の方も是非お見知りおき下さい。 (文責:出野徹之)